見ないアニメが良いアニメ?

見ないアニメが良いアニメ?

 「アニメを見ているとき、果たしてアニメを見ているのだろうか」

 「本当にこれでアニメを見ているのだろうか」と感じる。



 話の筋は理解した。でもそれ以上となるとぼんやりとした印象が残っている。

 そんなことが時折生じる。

 それは何か問題があるから。

 知識や理解ではなく、態度、姿勢の問題において。

 そしてその中でも、最も基本的な、最低限レベルの問題で。



 それは「見る」という問題。。



 「見る」という行為を考えてみると、中々人に負担を掛ける行為だなあと思う。

 そして、それが「見続ける」という段階に至れば、最早それは凄まじく大変なことだ。

 例えば、ある対象(手近にある家具とか、ともかく物体A)を見るとしよう。1分や2分なら、何とか見続けてみようと考えると思う。「まあそれぐらいなら見てもいいよ」と、よっぽど見るに耐えない対象や光景でない限りは、見続けることが出来るはずだ。

 では、それが、5分、10分と続くとどうなるだろう。すると、結構辛くなってくる。「まだ目を逸らしちゃいけないのか」という考えが生まれてくる。

 更に、30分となるとどうなるだろうか。それは最早苦行の領域に入ってくる。「辛くて辛くてたまらないさっさと目を離したい」となってくる。



 30分っていうのは、割とそんな時間なんじゃないだろうか。



 もちろん、これは固定された対象を見る場合であって、動いている対象を見るとき、そう、アニメを見るときは違うのかもしれない。アニメの30分は見続けることができているのかもしれない。見続けてもらうために、日本中のアニメーターが日々苦心しているのだから。



 しかし、現実的に考えて、アニメの30分をそこまで「見る」ことができているかというと、そんなことはない。



 例えば、実況行為がある。アニメには実況が付き物といった感覚が生まれてきたのはいつからなのか分からない。分かるのは、実況行為がアニメ視聴と分かちがたいのモノとして存在しているということだけだ。

 2chの実況板やニコニコ動画、更にはTwitter。場所は違えど、様々な場所で実況行為は日々行われている。

 では、実況行為をしている人はアニメを見ているのだろうかと考えると、やはり、「見る」ことはしていないのではないだろうか。

 「ブラインドタッチぐらいできるだろお前そんなこともできないの?」と言われるかもしれない。確かに、ブラインドタッチさえできれば、視線を画面に向けることが可能だ。

 だが、「見る」という点において、その視線に心が入っているのだろうか。意志は宿っているのだろうか。少なくとも、画面に対する注意は散漫になる。散漫になれば、当然見逃すことも増えてくる。

 つまりは、「見えていない」ことになる。



 では、実況しているとき、アニメを見ていると感じることができるのは、なぜだろうか。



 それは、「聞く」という行為が「見る」という行為を補ってくれているからだ。



 「見る」を実践できない人間を掬い上げてくれるセーフティーネット。そんな素晴らしい存在が「聞く」ことである。

 もちろん「聞く」こともまじめに取り組めばとても大変なことだろうが、あくまでも「見る」ことの欠如に対する補填としての存在として考えれば、コレほど楽なことはない。

 なぜ「聞く」ことが楽なのかといえば、それは身体を自由に動かせるという点にある。

 「見る」ことは、とどのつまり画面を見てないとできない。これは全身全霊を掛けて見ても、ダラダラウダウダ見ても同じこと。画面から目を逸らして見ていたら、それはもう多分正気の沙汰ではない。割と超人。

 でも、「聞く」ことは違う。画面を見なくて良い。音は勝手に耳から入ってくれる。耳から入った音は、頭で理解することができる。登場人物の会話、ナレーション、BGM、SE、全てを勝手に収集して勝手に理解してくれるオートマチックな行為、それが「聞く」ことだ。

 「聞く」ことによって、視聴する側は「見る」ことの強制から逃れられる。目を逸らしてでも、ある程度話の筋をつかむことが出来るようになる。

 逆に言えば、「見る」ことに依らなければ理解を得られない作品は、視聴する側にとってかなりの負担を強いていることになるだろう。

 理解に掛かる労力が「聞く」作品と「見る」作品では大きく異なってしまうのだ。



 それでは、理解によって得られるものとは何か。

 話の筋を理解すること、それは、視聴者に充足感をもたらすことだ。それはある程度の面白さとも繋がっている。人の知識欲を極めて単純に満たしてくれるからだ。

その理解するのに必要な要素を考えてみると、

  1. 前提知識
  2. 「聞く」こと
  3. 「見る」こと

の3つに分けることができるだろう。

 1の前提知識については、視聴者それぞれかなりの違いがある。ただ、「お約束」「お決まりごと」、また自らにとって身近な場所、過去に経験した場所といったレベルであれば、ほぼ全ての視聴者に共通するものが見いだせるだろう。いわゆる常識というモノである。この常識に近ければ近いほど簡単に理解することができる。

 2と3については、既に書いてきたとおり、?に比べて?は負担が大きい。?の方が楽だ。とすると、?の分量を増やせば、より簡単に理解が可能になるということだ。

 つまり、1と2を重視すれば、視聴する側に手っ取り早く理解を与え、ある程度の面白さを与えることが出来る、と考えられる。

 1の土台に、2でバカバカと組み上げていけばよいということになるのだ。





 じゃあ何かというと、とどのつまりホンが重要になってくる。

 ホンの段階で面白い(若しくは強烈にインパクトのある何か)と感じられて、ようやく視聴者はまともに目を向けてくれる。「見る」段階へと移行してくれる。

 もちろん、「見る」映像を軽視するべきとは言っていない。映像面は当然手を込むべきだろう。映像に情報があれば、「見る」段階に移行した視聴者が勝手に見付け出してくれる。そうすると、それが更に面白さへとつながり、「見る」「聞く」の連携が強化され、更に「ああコレおもしれぇなぁ」となってくれるのだ。

 逆に、「見れば面白いのに」という作品はまず目を向けてくれる段階に達してないんじゃないかということになる。だからその見るのが大変だ、ということを無視しているんじゃないかと考えられる。





 つまり結論をいうと、「見ないアニメが良いアニメ」ということになるのだ。

 なんて悲しい事なのだろうか。




おしまい











余談

「見る」アニメをガッツリ見るほうが好きです



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