制作者も含めて空気を読む作品『ヒトラー暗殺、13分の誤算』

原題は『エルザー』。主人公の名前。
ぶっちゃけ原題ママのほうが作品には合っているのだが、
何の映画かわかりづらいのでヒトラーの名前は入れておきたいしこんなものなのかもしれない。


主人公エルザーは事実なのか何なのか知らんが(私生活はフィクション多めみたいな注釈があった)、
かなり下半身で生きている男だ。
家から出て女遊びを楽しみ、故郷に戻っても人妻に手を出すという様。
家で一人で済ませる娯楽のない時代ってのはこんなものなのかもしれない。
人妻に手を出して孕ませるタイプの主人公が好きかというとそれほどではないので
私生活の面では到底共感できないキャラだ。
俳優の口角を片側だけ上げる笑い方もこの助平な主人公の印象を高めている。
これで良いのか悪いのか謎だ。


産ませた子供が死んでしまった辺りから
ヒトラーが死なないとドイツがヤバい」という正義感に突っ走って犯行に及ぶ。
自由だ自由だとノンポリぶっこいてて、でもちょっと赤いのも興味あったりして……なんて描かれ方だから
ふわふわしてたけど、なんかヤバそうだし殺そ。というちょっとキレた主人公だ。


労働者の給料がヒトラーになってから下がったとかその辺はかなり赤い情報から仕入れてそうだ。
その当時の情報がどの程度のものなのか知らないが、この辺の情報を鵜呑みにするのは、
主人公の愚かしさの表現かもしれない。
ネーべが最初に登場したところで、統計の取り方に苦慮している様子が見られたし、この辺は取り扱い難しそう。


主人公は置いといて、この作品の面白いところは2点あって、1点目は村がナチスの一部となっていくところ。
ナチスとの折り合いを付けていくところだ。
頭までナチスになるわけではなく、あくまで外形としてナチスを受け入れていく様子が面白い。
村長のような登場人物が、なるべく人的被害を抑えながら村を維持しようとするところ、この理性的な様。
ただ、ナチスの締め付けが強くなれば当然それに歩調を合わせないといけない。
上に立つ、とは言っても中間管理職のような村長のナチスとの距離感は非常に面白い。


2点目はエルザーを尋問するネーべらの姿である。
彼らも中間管理職なのだ。
妥当な回答とヒトラーの望む回答の間で何度も何度もエルザーにチャレンジしていく姿はなんとも辛いものがある。
上に立つ者が自らの回答を望み始めると、下の者はその回答を捻り出さないとならない。
なんとも厳しい問題だ。


人妻エルザはエルザーを生涯愛し続けたとかEDテロップで書いてあったけど、
ならあの最後の別れのシーンは何だったのか。
この辺の空気を読んだところは割と多く、
ネーべが、エルザーを評して「アイツは信念を持った男だ。この目を見れば分かる」とかいう主人公持ち上げがあったりした。
どうも気に入らないところだ。


ドイツの景色は綺麗だった。
映像も良かったし。ちょっとフィルターの効果に頼ってるような気がしないでもないが。


作中に描かれたあの頃のドイツに比べ、今の日本はそこまで夢がないと思う。
科学とそれに伴う進歩があって豊かになれてそれを先導するのがヒトラーなんだという表現がある。
つまりヒトラーという存在には夢があった。夢中にさせるものがあった。
でも、今の日本にそこまで進歩できるような夢はない。
悲しいかな熱狂は出来ない。