キバヤシがMMRの時と変わらないキバヤシで安心した、という話

 今日見たツイート。


樹林伸(小説・東京ワイン会ピープル発売中) on Twitter: "他人の創ったものに素直に感動し、自分も何か創りたいと思う人はクリエイター向き。感動しつつここがこうだったらもっと良いのにと、つい考えてしまう人は編集者やプロデューサー向き。何でもすぐあら探しする人は、モノ創りには向いておらず、例えば漫画ならそう遠くない将来、読者ですらなくなる。"

樹林 伸 (キバヤシ シン) ‏@agitadashi

他人の創ったものに素直に感動し、自分も何か創りたいと思う人はクリエイター向き。
感動しつつここがこうだったらもっと良いのにと、つい考えてしまう人は編集者やプロデューサー向き。
何でもすぐあら探しする人は、モノ創りには向いておらず、例えば漫画ならそう遠くない将来、読者ですらなくなる。


 僕はこのキバヤシのツイートを見て安心した。
 僕の大好きなあのMMRのリーダーであるキバヤシはいまだ生き続けているんだ、と思った。


 このツイートを見るに、もっともらしく3分割しているようだが、実際はMMR理論が息づいているのだ。
 まずこのツイート全体を見ると、大きく2つに人を分けていることが分かる。

  • 感動できる人
  • 感動できない人

の2つである。
 そして感動できる人を、更に2つに分けている。

  • クリエイタータイプ
  • 編集者、プロデューサータイプ

の2つである。
 以前は漫画編集者、今は漫画原作者であるキバヤシが一体どの位置にいるのかはよく分からないが、とりあえず、感動できる人は2つに分けることができるようだ。


 そして、上記を踏まえての3つ目の文が面白い。
 「何でもすぐあら探しする人は、モノ創りには向いておらず、例えば漫画ならそう遠くない将来、読者ですらなくなる。 」
である。
 ここにMMR魂を感じる。
 なんたって、感動できない人を1つに束ねてしまっているのだ。
 しかもその束ね方が、「何でもすぐあら探しする人」と言ったふうにである。
 MMRのリーダーキバヤシといえば、ふとした出来事を人類滅亡に結びつける必殺技を持つ戦士であった。
 その必殺技たるや、
 『風が吹いたら人類滅亡(狂風が吹いている……)』
という域にまで達しており、人々を何度恐怖と笑いの渦に巻き込んだか数えきれないほどである。


 そんなキバヤシが、今度も人々を恐怖の底に叩きこんでくれたのだ。
 「感動できない人」=「何でもすぐあら探しする人」
という素晴らしい等式を用いてである。
 このキバヤシの発言にアンチは恐れおののいたことだろう。
 否定する奴は何にもできない何も作れない人間であり、将来何も受け止められない人間と化す。


 つまり、カスなのだ。 


 うーん素晴らしい。
 この有無を言わさぬ分類。

● クリエイター
● 編集者
● ゴミ

 見事なる3分割。

● クリエイター
● 編集者
● ゴミ

 誠に素晴らしい。

● クリエイター
● 編集者
● ゴミ

 キテるねたまんね。


 彼は、昔も今もMMRのリーダーであり続けている。
 彼の心の中にあるMMRスピリットが論理という形をとって生き続けている。
 なんて素晴らしいことだろうか。
 MMRを見返したくなりました。




 てか、この
 「何でもすぐあら探しする人は、モノ創りには向いておらず、例えば漫画ならそう遠くない将来、読者ですらなくなる。 」
って、ほんとにこんな人いたらちょっと危ないんじゃないですかね……。
 だって、好きなものとか何でもなしにとりあえずあら探しするんですもんね。
 それってもともと読者だったんですかね……。






 普通の人間は常識だから書かなかったか、そもそも文字数足らんかったんか。
 どっちにしても、MMRぽく面白かったのでどっちでもいいです(自己認定)。
 こういうあら探しばっかりしてるからゴミなんだよなぁ。