『ToLOVEる -とらぶる-』SS「兄で息子、妹で母親な二人だけの昼下がり」

 前書き
 久しぶりの完成品です。当初の予定ではこちらを完成させるのは次だったのですが……。
 また美柑話です。そしてまた二人だけの空間です。
 前回と同じ構図ですが、ちょっと前回と違います。
 読んでいただけたら幸いです。
 では、始まります。



 結城美柑は暇だった。
 8月半ばを過ぎ、だんだんと暑さも和らいできている。最近、ベランダにでると涼しい風を感じることが出来る。
 そして、夏休みも佳境に入ってきた。多くの少年少女らが、積み残した重荷を切り崩すのに四苦八苦している時期である。
 しかし、美柑は違う。事前の計画通り、7月の終わりには全てを終わらせていた。だから、普段と変わらず、生活を送ればよかった。
 朝、定刻に目覚め、朝御飯を作り、洗濯をし、掃除をする。昼御飯は各自が勝手に摂るため、仕事はない。お昼過ぎには近所の商店街へ買い物に行き、夕餉の準備をする。と、その前に洗濯物を取り入れ、浴槽を洗う。夕食を作り、後片付けを終えると、一日の仕事が終わる。
 これら一連の家事を日々こなしていく。これが美柑の毎日であった。
 そして、今日もほぼ同じように過ごしていた。ほぼ、というのは、昼前にはすでに買い物を終えており、普段とは少し異なっているのだった。


 「暇だな……」
 ソファーにだらしなく腰掛けたまま、美柑は呟いた。さて、何をすればいいのだろう。
 家の人間は、ほとんどが出払っていた。ララたち三姉妹はなにやら用事があるようで、早朝より宇宙へと出かけていった。加えて、セリーヌも一緒に出て行った。つまり、この家に現在残っているのは、美柑ともう一人の住人であった。
 同級生の友人と遊びにいくことも考えてみた。しかし、彼女たちはどうやら宿題を全く終えてないようで、現在絶賛取り組み中とのことだった。ちなみに、美柑のノートは彼女らに貸し出されている。
 一人で外に繰り出そうか、そんなことも考えた。見知らぬ出会いが美柑を待っているかもしれない。もしかしたら、ひと夏の……なんて。というものにも、別段強い関心があるわけでもなかった。
 いや、色恋沙汰には大いに関心があるのだ。ただ、それは同級生の男子に、見知らぬ大人の男供に向けられたものではない。美柑が興味を持っている話は、現在、部屋にて宿題に取り組んでいる男、とその周囲にいる女性たちの話である。
 最近は、自らにもその関係に対し、なんらかの衝動を抱くようになっていた。ただ、その心の揺れ動きが一体何であるのかは、未だはっきりと自覚できていない。
 自覚できていないだけ良いのかもしれない、とむしろ、美柑は考えていた。
 思い当たってしまったとき、一体どうなってしまうのかを想像することを恐れているのだった。


 とりあえず、立ち上がる。冷凍庫からアイスバーを出した。円筒の棒状アイスである。袋からヌッと引っ張り出す。袋をゴミ箱に捨て、アイスを咥えながら再び、ソファーに腰掛ける。
 アイスから手を離し、口に咥えたまま顎を上げ、天井を見るような体勢で止まる。その体勢は、重ね着したキャミソールの胸元が、見る角度によっては露になってもおかしくないほどだった。余談だが、美柑は現在ブラジャーをしていない。理由は単純で、着けていると暑いし、蒸れるからである。
 アイスが、体温と室温で軟らかくなってきた。美柑はアイスの棒をつかみ、体勢を戻した。さすがにこぼすわけにはいかない。水滴を浮かべたアイスの全体を舐め回し、服や体への落下を防ぐ。
 外では、暑さを増してくれる効果を持つセミが、ラストスパートを掛けるかのように泣き喚いている。しかし、実際には涼しくなってきている。風が柔らかにそよぐ。網戸を通り、室内まで入ってくる。寝るときの冷房設定温度も上昇を迎えている。
 「耳かきでもしようかな……」
 美柑は、ふとそんなことを思いついた。とてつもなく暇なので、耳かきでもしようかというわけである。
 別に普段、耳かきをしていないというわけではない。美柑は身だしなみに気を使っているほうだ。身だしなみといっても、単に服装や体型だけではない。爪や足、腕など体の各部位の手入れも怠ってはいない。無論、耳もその中に入っている。
 その話は置いといて、それでも今、暇なので耳でもかいてみようと考えたのである。
 この間に、アイスは時に食べられ、時に舐められ、口の中に納まるぐらいに小さくなっていた。
 美柑は一口にアイスを木の棒から引っ張り取り、噛み砕き、溶かして嚥下するのだった。


 「こんなもんかな……」
 梵天を耳の中でキュルキュルッと回し、引き出す。最後に綿棒を使って仕上げる。
 これにて、一連の作業が終わった。
 時間にして5分足らず。戦果はほとんど無し。
 当然の結果であった。こまめに手を施していたならば、時間のかかるものではないのだ。
 脇においてあったティッシュペーパーを丸め、くずカゴに捨てる。耳かき本体を仕舞おうと考えたとき、階段から足音が聞こえた。
 ガチャリとドアが開き、男が一人、姿を見せた。
 「あ〜、疲れた〜」
 肩をダラリと落とし、いかにもだるそうに入ってきたのは、兄の結城リトであった。ハーフパンツに半袖のシャツ一枚、家にいることを存分に感じさせてくれる服装であった。どうやら、宿題が一段落着いた模様であった。
 リトは台所へと一直線に向かっていった。冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえる。リビングへと戻り、ソファーにドサッと腰掛けた。
 右手には麦茶の注がれたコップがあった。リトは口元へとそれを持っていき、一気にコップの半分程度をグイッと飲んだ。
 美柑は、そんなリトの様子を見て、隣のソファーに座り、声を掛けた。
 「お疲れ様、リト」
 「ん、ああ、ありがとな、美柑」
 「で、どのくらい終わったの?」
 「8割方は済んだかな。ただ、あとの2割がレポートなんだよなぁ」
 苦笑いしながらリトが返す。
 「でも、いつもよりはいいペースなんじゃない。いつもだと、分かんね〜、とか言って、なかなか進まなかったはずだし」
 「それはそうかもな〜。今年はララに教えてもらったところも結構あったし……、かなり効率は良くなったかな」
 ウンウンと肯きながら返事をするリトに、美柑は悪戯心からチクリと言ってみる。
 「じゃあ、逆に言うと、ララさんがいなかったら、今年も四苦八苦する羽目になっていたわけだね〜。リト〜、妹としては正直心配になってくるよ。来年は大学受験だというのに」
 リトがギクッとする。どうやら図星だったようだ。成績が低空飛行を続けているのは、事実なのだろう。
 「手厳しいなあ、美柑は」
 「母さんから、2人の管理を任されてますから」
 エッヘンと薄い胸を張り、美柑が答える。2人というのは父親と兄である。彼らを、少なくとも兄を適切に導いていくことが、美柑は自分の責務だと考えていた。
 そんな妹を見て、リトは緩んだ表情を締めなおした。そして、優しげな表情で美柑の目をまっすぐ見据えて言った。
 「そのことは本当に感謝してる。オレも、親父も」
 ド直球の感謝、純度100%の思いが美柑にぶつけられた。これこそ、リトの持つ長所の1つだった。時々、悪気無く、馬鹿みたいに真っ直ぐになるのである。
 「わ、分かってるなら……、うん……、えっと……、よろしい……」
 美柑は、顔を赤らめながら返答した。チラッとリトを観察したところ、当人は、なぜ急にしどろもどろになったのか分かっていないようだった。つまり、天然でやっているのだった。
 美柑は右手に持った耳かきの棒をギュッと握っていた。
 「……? ところで美柑、どうして耳かきなんて持ってるんだ?」
 「えっ、ああ、これのこと。さっきまでちょっとホジホジっとね」
 「ふ〜ん……、そうだな、美柑。俺も使うから、渡してくれるか」
 リトが頼んできた。勉強も一段落着いたし、ちょうど良いということのなのだろう。
 その時、美柑が思いついた。
 「私がやってあげようか?」
 「?」
 思いもかけない返答を、リトは理解していないようだ。具体性に欠ける提案の仕方だったからであろう。
 「えっと、これ、耳かき」
 美柑が、クィックィッと耳かきの棒を揺らしながら言った。これに対し、ようやくリトは合点がいったようだった。
 「いや、いいって。一人で出来るしさ。美柑だって他にやることあるだろ?」
 よくある断り方である。そこに、すかさず美柑は畳み掛けた。
 「大丈夫、何もやること無いから。それに、一人でやるより、人にやってもらった方が楽だし、効率もいいと思うんだけどな〜」
 フリフリと梵天を三本の指で揺らしながら、ニッコリとリトを見る。リトは即座に敗北を悟った。議論において、我が妹に理で勝つことは出来ないのは、存分に理解していたからだった。
 「分かった分かった。それじゃあ、どこでするんだ」
 「ん〜、ここか、ベランダか、和室? ベランダは風が強いから、できればここでやりたいかなあ。和室も明かりが暗いし……」
 「ここでいいや。んじゃ、この長ソファーだな」
 美柑は右横の長いソファーに移動し、右端に深く腰掛けた。左ポケットからハンカチを取り出して、柔らかな肘置きの上に置いた。
 「リト、こっちは準備できたけど……どうしたの?」
 リトは、美柑の左に立ったままだった。頬を人差し指でポリポリと掻きながら応える。
 「いやさ、何と言うか……、めちゃくちゃ恥ずかしい」
 「そう?」
 「ああ、久しくというか……、人に耳を弄ってもらうのなんて、小さい頃に母さんにやってもらった以外無いからなあ」
 確かに、美柑としてもあまり記憶は無い。小さい頃、母親にやってもらったぐらいだろう。
 「うーん、確かにそうだねぇ。でも、現在、我が家では、私が」
 「母親代わり、か」
 「そゆこと。はい、さっさと観念して寝る」
 左手を伸ばし、下ろされていたリトの右手をつかむ。そして、引き寄せ、隣に座らせた。
 半ば強引に持っていかれながら、ようやく心が決まったのか、リトは大人しく座った。
 「頭をどこら辺におろせばいい?」
 「ん〜、じゃあ、このスカートの、この部分に耳が当たるような感じで」
 こう言いながら、美柑が指差したのは、スカートと太ももの境目であった。今日の美柑は台形で、縁にプリーツがついたミニスカートを穿いていた。そのちょうど境目ということは、大体、膝から足の付け根の中間に位置することになった。
 「分かった」
 リトが、頭を美柑の太ももに載せ、いよいよ耳掃除が始まるのだった。


 「うわっ」
 美柑が素っ頓狂な声を上げる。
 「美柑、何かあったか?」
 リトが横目に美柑を見ながら声を掛けた。
 右手に持った耳かきを持ち直し、人差し指でリトの耳を示す。眉はきゅっと締められ、表情はほんの少し硬くなっていた。
 「リト……、あんた、この前いつ耳掃除したの?」
 人差し指を動かし、ここだと言わんばかりに何回も指し示す。リトは理解に達し、ほんの少しの間、過去を振り返っていった。
 耳掃除、耳掃除と一週間、一ヶ月とだんだん時間を延ばして振り返っていったが、どうにも思い当たる節がないようだった。
 「へっ? えっと……、いつだっけな」
 結局、不明という解答が、リトの記憶中枢からひねり出される。ごまかすためか、目線がリトの左上にある窓サッシに向けられた。
 美柑は、ため息をつき、ちょっとジト目になって、リトと目線を合わせる。
 「凄い状況になってる。リトの目玉を引きずり出して見せてあげたいぐらい」
 「そんなに?」
 「そんなに」
 リトの問いかけに、美柑は鸚鵡返しに返事をして、同意するように何度も肯く。
 「たしか、この前掃除したはずなんだがなぁ」
 「この前って?」
 「いつだったっけなあ……」
 どうやら全く記憶にない様子であることに対して、美柑は少々呆れながらも、眉から力を抜き、柔らかく唇の端を絞って言った。
 「まあいいわ。逆に掛かる時間と楽しみが増えたってことにしましょう」
 再び、耳かきを正しく持ち替え、左手で頭を少し押さえつつ、耳をそっとつかんだ
 「じゃあ、動かないでね」
 「分かった。頼む」


 始まってから、7〜8分ほど時間が経った。
 「どう、美柑。」
 また一つ取り出した美柑に対し、リトが進捗状況を訊いた。
 「まだ半分ぐらいかな。きちんと仕上げるにはここまでと同じぐらいの時間がかかりそう」
 「そっか、あ痛っ」
 返事をしつつ、再び耳かきを入れたところ、耳穴の奥に当たってしまった。反射的に美柑は棒を引き抜いた。
 「ごめん、リト」
 「大丈夫大丈夫、続けてくれ」
 美柑のお詫びに対して、気にすんなとばかりに右手を振ってリトは応えた。そのときリトの顔が少し上を向き、目線が交わった。
 美柑は、そんなリトの目尻にあるものを見つけた。光を屈折させ、少し滲みながら光っていた。
 なぜだか、その水滴をボーっと美柑は見ていた。
 「美柑、どうかしたか?」
 「えっ、あ、うん。リト、涙が出てる」
 「本当か?」
 「うん、右目の下」
 ちょんちょんと自分の右目の下を耳かきで突っつき、場所を示した。
 リトは、右手の指先を目元に近づけ、すっと触れた。すると、中指の腹に湿り気を感じた。視界より消えた右手を顔から離し、指先を再び視界に収めた。
 「本当だ」
 「やっぱり痛かったかな?」
 美柑が心配そうに訊ねる。手は止まり、完全に下ろされた状態だった。
 「……」
 「……」
 一時の沈黙。やがて、リトは何かに思い当たったかのようにすっと手を下ろし、元の体勢に戻った。そして、一言だけ述べる。
 「美柑、初めていいぞ」
 「あ、うん、わかった」


 美柑が、大きな垢を取ろうと取り掛かったとき、リトから声が漏れ出した。
 「なあ、美柑」
 「何?」
 リトはゆっくりとしたペースで、おとぎ話を読み聞かせるがごとく、静かに話し出した。
 「さっきのことだけどさ」
 「うん」
 「少し懐かしかったのかもな」
 「……」
 「そういえば、昔、母さんにここでやってもらった記憶があるんだ」
 「あのときも、おんなじ感じだったと思う」
 「同じ感じって?」
 「リビングに入ったら、美柑と同じようにやってて、そこで俺が興味を持ったって構図」
 「うん」
 「その時は途中で厭きて、駄々こねたんだよ。そうしたら、母さんが、耳の壁をブスッと刺してきた。動くなってね。それが痛くてさ。思わず涙眼になった」
 「母さん、変わってないね」
 共に微笑を浮かべる。ただ、双方とも休むことはない。手を動かし、口を動かしていた。
 「その後は、大人しくしていたから、最後までやってもらったんだけど」
 リトが一拍置く。目線を正面の壁に移し、じっと見据えている。
 そして、言葉を再び発する。
 「なんか、さっきのことで思い出したんだよなあ。そうそう、あの時もこんな視界だった気がする」
 「ただ、今やっているのはあたしだけどね」
 ゆっくりとしたツッコミ。美柑としては、自己の存在をリトに認識してもらう必要があった。この昔話に接続するためには、今この行為を行っている人間と過去に行った人間を対比し、つなぎ合わせねばならなかった。
 「……」
 「さっきも言ったけど、私が、代わり、だから」
 一節一節を緩やかな速度で重ねていく。今ここにあるのは、母と子、兄と妹。これら二つの関係が二人の間で交じり合う。
 「そうだな……」
 安らかな笑みをリトは顔に表していた。それは、過去の感傷と今までの、そしてこれからの美柑との変わらない関係の両方を考えてのものだった。
 「そっか……、そんなこともあったんだ。あたしはあんまりそんな記憶が無いなあ」
 美柑には、そういった記憶はあまり無かった。もちろん小さい頃はやっていてもらったはずだ。だが、はっきりとした記憶を持ち出した頃、すでに母親は多忙の身となっていたのだった。
 「小さかったしな。そうだ、終わったら代わりに俺がやってやろうか」
 「……」
 「どうかしたか?」
 その時だった。リトの左耳から強烈な痛みが駆け抜けた。
 原因は、美柑だった。美柑が、リトの耳の中、内側の壁に思い切り耳かきをぶっ刺したのだった。
 リトはテンションをたちまち変え、顔は動かさず、左目の目線を美柑へと向ける。
 美柑を視界に納めないまま、びっくりした声でリトは言った。
 「痛っ! 俺、なんか悪いこと言った?」
 これに対して、美柑の調子も先ほどとは打って変わり、とても速く、激しいものとなっていた。しかし、怒っているわけではなかった。
 「必要ありません。はい、さっさと体勢戻す!」
 まるで、生徒を監督する教員のようにテキパキと命令を下す。
 まさしく、母親の顔としての美柑がそこにあった。
 「なんで?」
 リトは納得できず、理由を訊いた。
 「ねぇ、リト。人の穴を覗こうだなんて、裸を見せろと言っているようなものだよ。特に女の子にとっては、悪くすると捕まっちゃうよ」
 リトは今一承服できない様子であった。どういうことなのだろうと考えていた。
 一方、美柑は続ける。
 「例えば、リトが女だとして、見知らぬ男に『耳掃除させてください』って言われたらどうする」
 「間違いなく逃げるな」
 「見知った男なら? 例えば猿山さんとか」
 「マジで勘弁してくれ」
 リトは過去の女性化したときの自分、その際の猿山から受けた熱烈?なアプローチを思い出していた。
 そして、猿山からは勘弁して欲しいと、確信してしまった。
 「よく分かった。申し訳ない」
 美柑は、リトの謝罪を聞いて、最後の言葉を投げかける。
 ただ、このとき少しだけミスをしていたのだった。
 「そういうのはね、好きな人だけにやってあげることが出来るの」
 「へっ?」
 「……」
 「……」
 言葉足らずだったのだろうか。
 いや、言葉は足りていた。美柑にとっては足りていた。十分すぎるものだった。
 網戸にさえぎられた風、網戸の網に開いた隙間を通り、部屋にそっと吹き込んできた。
 雲間から漏れ出る太陽の光は、地を柔らかに照らしていた。
 地へ至るまでは青々と生い茂った樹があった。風と合わさり、木漏れ日はゆらゆらと行き来していた。
 美柑の表情は、彼らと同様の揺らぎを起こしていた。
 「……」
 「……」
 沈黙が場を支配する。しかし、長くは続かないものだ。
 グッと顔に力を入れ、搾り出すように美柑は言い放った。
 「――だから、さっさと彼女でも作ってやってあげたら!? 相手が許可したらね。」
 「あ、ああ、分かった」
 リトは気圧され、肯くより他はなかった。
 「ったくもう……」
 こうして、双方にともに、何だかよく分からないまま会話は途切れ、再び元の体勢で耳掃除が始まった。
 いつしかセミの声も小さくなった。
 その場に在ったのは、吹き込む風によりカーテンがはためく音、そして、黙々と作業を続ける音だけだった。


 「よしっ、終わったよ、リト」
 押さえていた左手を放し、美柑がリトに告げた。
 「そっか、んじゃもう片方だな」
 リトが90度回って、ちょうど仰向けになった。真正面から顔と顔を突き合わせる状態になる。
 「どうしよっか、一度休憩する?」
 「いや、別にいいんじゃないの。ところで、俺は美柑のほうを向けばいいのか。それとも一回起き上がって反対側に寝ればいいのか」
 「このままの体勢でいいかな」
 「了解。じゃあ」
 リトがのっそりと動く。頭を軽く上げ、腕を使いソファーの上で体の向きを変える。
 美柑の左肩の前をリトの顔が通る。近づき、遠ざかっていく。
 そして、美柑の両足の間に左耳をすっぽりと埋める。
 「こんな感じでいいのか」
 目線だけを右側に寄せ、リトは美柑の顔を見た。
 「うん、それで……」
 声が詰まる。それもそのはずであった。この姿勢は正直のところ、あまりよろしくない気がする。
 リトの呼吸が伝わってくる。口と鼻を静かに空気が出入りする感触がわずかながら感じられる。一つ意識すると、他にも気づくことが出てくる。リトの体を流れる血の流れ、規則正しく発せられる鼓動が太ももに伝わってくる。
 何というか……「えっちぃのはきらいです」みたいな感じだろうか。ああ、そういえば、これはヤミさんがよく使う言葉だなあ、なんていうことを美柑は思っていた。
 顔をほんのりと赤らめながら、手元にいるリトの表情を見ているのだった。
 「どうした?」
 リトの言葉により、現実に引き戻される。
 「なんでもないよ。始めるから、ほら動かないで」
 「分かった」
 何事も無かったかのように、美柑は右耳の耳掃除を始めた。


 「この体勢なんだけど……」
 リトが話を切り出してきた。リトにとっても、この体制というのはいささか辛いものがあった様子だった。
 「なに?」
 「顔が体に近い。あと、左手のやり場に困る」
 美柑がリトの左手に目を向けると、確かにその通りだった。
 ソファーの形状を考えると、どうしても手を収める場所に困る。それは、ソファーから転落しないためになるべく深く寝転がっていることも関係していた。そうすると左手の置き場は背もたれに沿うことになるのだが、少し難点があった。
 「ん〜、なるべく小さくたためないかな」
 美柑の頼みを受けて、リトは左手を折り曲げる。体の脇に収めようと試みる。
 「んと……」
 リトがギュッと収めようとしたとき、左手が美柑の左わき腹をスルッと触れていった。
 「ひゃっ!」
 予想外の感覚に美柑は思わず、背中がピンと伸びた。
 「ゴメン、美柑」
 「あっ……、うん……。続ける」
 余韻覚めやらぬまま、再び探索を開始するのだった。


 耳掃除をしたまま、美柑はリトに訊いた。
 「ところでリト、さっき顔が体に近いのが困るって言ってたけど、何で?」
 「ああ、あれか……。ん、とだな……」
 「どうしたの?」
 「いや、別に問題なかった。大丈夫だから、続けてくれ」
 「そっか……」
 美柑としては、やはりリトも自分の体に密着しすぎていることを意識したのだろうかと考えていた。しかし、どうやら違った模様だった。体から少し放すということをやろうと思えば、特段問題はないはずだからだ。
 一体なんなのだろうな、と美柑は思った。
 顎を引いて見ると、リトが頬を少しだけ赤く染めて、ウトウトとしていた。
 どうやら疲れがたまっていたらしい。
 まあ、いっかな、と美柑は思った。そして、今までよりいっそう丁寧に、優しく耳かきを操っていくのだった。


 「んっと……、終わり!」
 最後に梵天を用いて、さっと中を掃き、作業はようやく終わりを向かえた。
 時間にして15分。両耳合計すると30分と少しといったところだろう。
 リトはというと、すっかり寝息を立てていた。
 美柑は道具をまとめ、ソファーの肘置きに置いた。
 「ん〜〜」
 リトは、むにゃむにゃと口を動かす。
 「えっ」
 いきなりリトが動いた。再び仰向けの状態になる。
 美柑は、どうしようかな、と思った。このままでは動くことが出来ない。
 起こそうかと考えてみた。しかし、そこまでする気になれなかった。
 一瞬頭を浮かせても、気がつかないだろうと考えた。だが、なんとなく名残惜しい気持ちが残っていた。
 「……」
 リトの唇へと、美柑は右手人差し指を立てて、すっと降ろした。
 指は唇の左端へと触れる。そのままゆっくりと、触れるか触れないかの際どい間隔で指を右端へと滑らしていく。
 右端に行き着いたら、そっと指を挙げ、自分の唇へと運んでいった。
 人差し指から伝わるのは、リトの唇から感じられた温度。
 それは、美柑自身の心をも暖めていった。
 「……」
 じっとリトを見つめる。
 昔の思い、今の思い、そしてこれからの思い。
 昔の関係、今の関係、そしてこれからの関係。
 両親、友達、恋人……その他たくさんの人、たくさんのもの。
 「――頑張りなさいよ……」
 風がやんだ。カーテンのはためきが止まっていた。
 外の雲はいつの間にか消えており、燦燦と太陽の光が降り注いでいた。
 「――――」
 美柑は、リトの額を撫でながら、ずっと寝顔を見つめ続けていたのだった。


おしまい







 後書き
 前と後分ける必要あるの?
 なんて言われそうですが一応分けます。
 なぜならここで、大いに反省をせねばならないからです。
 まず、美柑が上手に描けませんでした……。今回はリトが覚醒しているため、どうしても関連性を持った話になってしまいました。その結果ところどころ、美柑にしては反応は変な感じになってしまっています。
 あと、その発言は変だろwときっと思われた場面が一つあったと思います。申し訳ありません。発想力が不足しております。
 ただ、あの場面が、今回書きたかったところだったんで外せませんでした。


 最後の終わり方が前回の途中辺りとまんま一緒やんと思われたかもしれません。
 ぶっちゃけると、そのあとは大体一緒ですw
 私の妄想では
 美柑眠りに落ちる→ララ御一行が帰宅→モモがデダイヤルでパシャリ
 →現像写真を美柑に渡す(ニコニコしながら)→熟したりんごみたいな顔をして美柑が写真を受け取る
 →一度机にしまう
 →しかし寝る間際に取り出し、枕元に忍ばせて睡眠
 →夢に見てやったね!!
 なオチです。
 これもまた好しと思ったのですが、止めました。


 あと、リトが美柑の体に顔を近づけて困ったこととはなんでしょうね。
 一応、何かは決めてあるのですけど。分かっていただけるほどの執筆レベルになっているのかというと……。
 とりあえずヒントは「記憶」です。人は目でのみ記憶するのではありません、ということです。


 次こそは、次こそはあの人行きます。
 でも、あんまり受け入れてもらえる内容じゃないかもしれないんですよね……。
 ドキドキワクワクだとは考えているのですけど。


 では、また次で会いましょう。さようなら。

 <追記>
 一応昔書いたTo LOVEるのSSも紹介しておきます。よろしければどうぞお読みくださいませ。
 『ToLOVEる -とらぶる-』SS「春眠乙女」 - 一歩進んで三歩戻る
 初めて書いた美柑ssですね。内容はリトと一緒に寝る。原作でやりましたね。一応原作よりも先に書いたんで許してください。
 それに色々違うところもありますし……。
 『ToLOVEる -とらぶる-』SS「夏の終わり」 - 一歩進んで三歩戻る
 第三弾美柑ss。内容は、リトと美柑とセリーヌがアイスを食べたりする話。
 食べあいっことか書いてみたかったんです。
 『ToLOVEる -とらぶる-』SS「ある朝の儀式」 - 一歩進んで三歩戻る
 第四弾美柑ss。
 リトの唇に朝起きると不思議な感触が……。最近寝起きも良いし……。そういや、いつも美柑がカーテン引いているような……。
 一体どういうことだろう?というのが内容。
 リトの無自覚と美柑の自覚を対比させるみたいな。
 『ToLOVEる -とらぶる-』SS「ある夜の密談」 - 一歩進んで三歩戻る
 第五弾美柑ss。
 夜中にリトの部屋へと忍び込むモモを止めるため、美柑が立ち上がったのだけれど……。
 書いている当人も思わぬ方向へと進んで行ってしまった印象のある一作。
 本音と建前と自覚と無自覚をその時々で上手く使いこなせれば楽しいかも。